水心子正秀

幕末の動乱を生き抜いた勝海舟(かつかいしゅう)は、何度も命を狙われたが、自分では決して相手を殺すことはしなかった。晩年の勝海舟の談話を記録した『海舟座談(かいしゅうざだん)』(巌本善治編集/岩波書庫)の中で、こう誇らしげに語っている。

「私は人を殺すのが大嫌ひで、一人でも殺したものはないよ。みんな逃して、殺すベきものでも、マアマアと言って放って置いた。(中略)私が殺されなかったのは、無辜(むこ…罪のない人)を殺さなかった故かも知れんよ。刀でも、ひどく丈夫に結えて、決して抜けないようにしてあった。人に斬られても、こちらは斬らぬといふ覚悟だった。ナニ蚤や虱だと思へばいいのさ。肩につかまって、チクリチクリと刺してもただかゆいだけだ、生命に関りはしないよ」

こう語る勝海舟が所持する日本刀は、水心子正秀(すいしんしまさひで)。江戸時代後期の刀匠である。 正秀が活躍する少し前の江戸中期は、戦などはるか昔のこととして忘れ去られた泰平の世であった。武器であったはずの日本刀は装身具と化し、華やかさこそが優先され、鋭利強靭な日本刀は希少となる。やがて、江戸末期・文化文政のころになると、尊王攘夷(そんのうじょうい…君主を尊び外敵を排斥する)の声高く、物情騒然となった。そうした世相に合わせ、刀剣界にも転換期がやってくる。その中心となったのが、水心子正秀だ。 「簡素化された新刀の鍛刀法を改め、古刀の鍛錬法に復元すべきである。

もういちど鎌倉時代の古作の備前(びぜん)や相州伝のように、砂鉄から鍛錬する古法に則した一貫作業を行うべきである」 と提唱し、諸国の刀匠たちの共鳴を得て、泰平の世で衰退しつつあった日本刀に大きな影響を与えた。実際、正秀の作品には実用的な剛刀が多く見られる。 勝海舟の抜かない刀がこの正秀の作というのは意外なようだが、剣と禅(ぜん)とを極めた勝海舟だからこそ使いこなせた剛刀なのだろう。

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