竹股兼光(たけまたかねみつ)・・・上杉景勝

「竹股兼光」はもともと上杉謙信に仕えた勇将「上杉二十五将」の一人・竹股三河守頼綱の愛刀だった。頼綱は川中島の戦いにこの刀を持って出撃し、武田軍の兵士を鉄砲もろとも斬り伏せた。武田軍も、敵ながらこれには感嘆したという逸話を持つ名刀である。後この竹股兼光は、頼綱より謙信に献上され、次いで景勝へと受け継がれた。

 ある時景勝は、古くなった拵えを直す為に、この名刀を京都に職人に預けた。直しが終了し戻ってきたとき、その竹股兼光を、二代目竹股三河守が入念にチェックする。そして言った。「殿、これは竹股兼光ではありません」

 調査の結果京都の刀匠達が、名刀「竹股兼光」の贋作を作りだしたことが判明した。本物の兼光にある、はばき(茎に装着する金具で、鞘の中で刀身を浮かせて固定する為のもの)より4.5cmほど上のところに、馬の毛が一本通るほどの細い穴があいているのだが、京都から戻ってきたこの竹股兼光にはその穴が無いという。刀匠一味は捕らえられ、本物の兼光は、景勝の元に帰ってきた。細い」穴に馬の毛を通したところ、まぎれもなく本物の竹股兼光であることが証明された。景勝は上杉家の家宝として大切に保管していたが、豊臣秀吉に所望され、泣く泣く献上したという。しかしのちの大阪夏の陣で行方不明となり、今もその所在は分からない。