謎を解き明かした鉄の剣

現存している日本刀の中で、歴史の謎を解き明かしたものとして知られている剣と言えば、埼玉県行田市の前方後円墳「稲荷山古墳」から発見されたとされる鉄の剣が有名であると言えるではないでしょうか。この鉄剣は、発見された当時から騒がれていたわけではなく、保存処理を施していた時に、金象般の銘文が発見されたことで注目を浴びたとされており、その銘文は、他に類を見ないほどの長文であった事に加え、銘文の一部が「獲加多支歯大王」と判読されたことから世間を騒がせたとされているようです。「獲加多支歯大王」は「ワカタケル大王」と読み、雄略天皇のことを指しているとされています。この銘文の内容は「ヲアケ」という人物と、その祖先たちの功績が刻まれているとされており、かつて、彼らがワカタケル大王のかたわらに居て、この大王の天下統一という偉業をサポートしていたという事が記されていたようです。この鉄剣の銘文が判読されるまでは、歴史上、畿内のヤマト政権の勢力は5世紀の後半、関東にまで及んでいたかもしれないという点で確証が得られず、長らく迷宮入りの歴史として位置づけられていたとされており、この鉄剣の銘文の発見により、歴史の穴埋めとなる貴重な証拠として重大な宝剣として扱われ他とされているようです。この明文により、かつて地方の首長クラスの人物たちが大王の覇業を手伝わされたとするのは、支配に服していたからという事実が解明され、5世紀の後半には、ヤマト政権が関東を支配していたということが証明されたと言われているようです。このように、古くから刀剣は武器以外での役目も習慣化されていたということがうかがえるのではないでしょうか。

山本兼一氏と日本刀

山本兼一氏は1956年、京都市生まれた人物です。大学は同志社大学を卒業、その後、出版社に勤務した後に、フリーランスのライターを経て作家になった人物です。2002年、『戦国秘録 白鷹伝」(祥伝社)で作家デビューしました。2004年、『火天の城』(文塞春秋)で第 11回松本清張賞を受賞しています。2009年、『利休にたずおよ(PHP研究所)』で第 140回直木賞を受賞しました。その他の著作に、 『いっしん虎徹』(文義春秋)、『狂い咲き正宗一一万剣商ち ょうじ屋光三郎』(講談社)などがあります。2014年2月13目、肺腺癌のため死去しました。享年は57歳です。最期の作品となった「平安楽土」(雑誌『中央公論』に連載していました)の最後の原稿を編集者に送ったのは死去前日、亡くなる約5時間半前でした。

「江と化け物は見たことがない」

本阿弥家からのお墨付きをもらうまでは、決して名声を集めていたわけではない江義弘という刀があります。
義弘の作はすべて無銘で作刀数は少なく、本阿弥家が極めをつけたもののみが存在します。
これが由縁で、「江と化け物は見たことがない」と言われるようになった希少性が特徴的です。

その作風は、正宗によって完成された相模鍛冶・相州伝の影響を受けています。
そのため「正宗十哲」という正宗の高弟10名の中のひとりに数えられています。しかし、この10名すべてが正宗の直弟子であったわけではなさそうです。

現存する日本刀

ここでは、現存する国宝や重要文化財など、世界でも有名な日本刀を紹介します。

太刀・大太刀(国宝)
平安時代後期から室町時代初期にかけて作られた刀で、特徴として反りの大きな刀です。
ここでは、国宝に指定されている刀を紹介します。

・三日月宗近(みかづきむねちか)
三条宗近による太刀です。
刀身に三日月形の刃文が見られることで、「三日月」と呼ばれるようになりました。
鎬造りで庵棟、腰の反り高く、小鋒詰る。
刃文は、小乱れに小足入り、刃に沿って沸と匂で半月形の打ちのけ。
国宝に指定されており、天下五剣のなかの一つで、最も美しいと言われています。
東京国立博物館に所蔵されています。

・大典太光世(おおてんたみつよ)
三池派の三池典太光世(みいけでんたみつよ)による太刀です。
茎から刀身の1/5ぐらいまでに鎬筋にそって腰樋が入っています。
そして、短めの刀身に対して、身幅が広いという独特な特徴があります。
国宝に指定されており、天下五剣のなかの一つです。
前田育徳会に所蔵されています。

・童子切安綱(どうじぎりやすつな)
大原安綱による太刀です。
源頼光が丹波国大江山の酒呑童子を斬ったという伝説があり、「童子切」と呼ばれるようになったと言われています。
鎬造りで、庵棟で、小鋒です。
刃文は、小乱れ・小丁字ごころ・小互の目交じりです。
国宝に指定されており、天下五剣のなかの一つです。
東京国立博物館に所蔵されています。

多様な表情を持つ鉄のすばらしさ

鉄は広く流通し、私たちの身の回りに必ずあり、とても面白い金属です。なぜなら、地下に存在するマグマ、体内を流れる血液中の色素たんぱく質であるヘモグロビン、そのどちらも鉄が含まれています。

「あなたは金属と言えば、何を思い浮かべますか。」と質問したとき、ほとんどの人が「鉄」と答えると思います。他には「金」「銀」「銅」などを答える人もいるかもしれません。金・銀・銅は、その単体で美しい色を持っているとして、珍しく扱われてきました。奈良時代には、金・銀が財宝の象徴であると謳った短歌もあるとされています。また、その時代には、金は“くがね・こがね”、銀は“しろがね”、銅は“あかがね”、そして鉄は“くろがね”と呼ばれていたそうです。金・銀・銅は世界共通で、財宝として考えられていますが、あえて鉄(くろがね)に多くの日本人が、魅了されていると感じるのはなぜでしょうか。

「鉄は何色ですか。」と質問したとき、「灰色」「ねずみ色」「シルバー」などの答えが返ってくると思います。それは、包丁・ナイフ・日本刀など、刃物を想像して鉄と結び付けるからでしょう。昔の人がなぜ鉄に“くろがね”と名付けたのかは、明確にはなっていません。しかし、鉄で出来た製品の常に手が触れるようなところは、黒錆で光沢のある美しい黒色になることがあります。これは四三酸化鉄によって、鉄の表面が覆われ、内部の酸化を防いでくれる効果があります。一方、第二酸化鉄は赤色をしていて、顔料として使われることがあります。この黒色も赤色もそれぞれ鉄の持つ違った面です。また。鉄は水気があればすぐに、赤茶色になり錆びてしまいます。

このように鉄は、人の手の加え方によって、多様な色の表情を見せてくれます。その多種多様さが鉄の魅力かもしれません。

「刃文」いついて

作刀工程の山場ともいえる「焼き入れ」により生み出された「焼き刃」は、刃を強くすると同時 に、 美しい「刃文」を生み出す。この刃文もまた、 日本刀の重要鑑賞ポイントだ。 間違えやすいのは、博物館や刀剣店などで、ケ ース越しからでも見える白っぽい刃文は本来の刃文ではないということ。これは、 研師による「刃取り」という作業によって、刃文を白く美しく仕上げたもの。化粧を施した姿のようなものである。本来の刃文は、ある角度で刀身に電灯の光を当てると見えてくる。 すぐはみだれば 刃文は「直刃」と「乱刃」に大別される。直刃は刃と平行にまっすぐ入った刃文 で、その幅の広さによって「細直刃」「広直刃」「中直刃」などに分類される。 直刃以外のものは乱刃。乱刃は形によって、さまざまな種類に分類されます。

水心子正秀

幕末の動乱を生き抜いた勝海舟(かつかいしゅう)は、何度も命を狙われたが、自分では決して相手を殺すことはしなかった。晩年の勝海舟の談話を記録した『海舟座談(かいしゅうざだん)』(巌本善治編集/岩波書庫)の中で、こう誇らしげに語っている。

「私は人を殺すのが大嫌ひで、一人でも殺したものはないよ。みんな逃して、殺すベきものでも、マアマアと言って放って置いた。(中略)私が殺されなかったのは、無辜(むこ…罪のない人)を殺さなかった故かも知れんよ。刀でも、ひどく丈夫に結えて、決して抜けないようにしてあった。人に斬られても、こちらは斬らぬといふ覚悟だった。ナニ蚤や虱だと思へばいいのさ。肩につかまって、チクリチクリと刺してもただかゆいだけだ、生命に関りはしないよ」

こう語る勝海舟が所持する日本刀は、水心子正秀(すいしんしまさひで)。江戸時代後期の刀匠である。 正秀が活躍する少し前の江戸中期は、戦などはるか昔のこととして忘れ去られた泰平の世であった。武器であったはずの日本刀は装身具と化し、華やかさこそが優先され、鋭利強靭な日本刀は希少となる。やがて、江戸末期・文化文政のころになると、尊王攘夷(そんのうじょうい…君主を尊び外敵を排斥する)の声高く、物情騒然となった。そうした世相に合わせ、刀剣界にも転換期がやってくる。その中心となったのが、水心子正秀だ。 「簡素化された新刀の鍛刀法を改め、古刀の鍛錬法に復元すべきである。

もういちど鎌倉時代の古作の備前(びぜん)や相州伝のように、砂鉄から鍛錬する古法に則した一貫作業を行うべきである」 と提唱し、諸国の刀匠たちの共鳴を得て、泰平の世で衰退しつつあった日本刀に大きな影響を与えた。実際、正秀の作品には実用的な剛刀が多く見られる。 勝海舟の抜かない刀がこの正秀の作というのは意外なようだが、剣と禅(ぜん)とを極めた勝海舟だからこそ使いこなせた剛刀なのだろう。

地肌について

「造り込み」とともに、日本刀を鑑賞するうえでおさえておきたいのが、「地肌(じはだ…地鉄と表現することもある)」である。 地肌とは、折り返し鍛錬を行うことによってできる「地(焼き入れされていない部分)」の模様のこと。一見何の模様もないように見える「地」だが、よく見てみる と、日本刀一本一本に、独特の模様が存在する。これは、炭素の量の異なる材料を組み合わせて折り返し鍛錬を行うことで生じる模様で、炭素が多い部分が黒っぽく 見えるために生じる現象である。材料となる鋼をどのように折り返して鍛えるかによって模様が決まることから、 作られた時代や地域を知る手がかりの一つになる。

「板目肌(いためはだ)」「杢目肌(もくめはだ)」「柾目肌(まさめはだ)」「綾杉肌(あやすぎはだ)」「梨子地肌(なしじはだ)」などに大別されるが、溶かした鉄を鋳型(いがた)に流し入れて作る鉄製品には決して見られない独特の模様であり、日本刀鑑賞の醍醐味ともいえる。

・板目肌……木の板の模様に似た地肌で、もっとも多くの日本刀に見られる地肌といわれている。板目肌の中でも模様の大きいものは大板目(おおいため)、小さいものは小板目(こいため)と呼ばれる。
・杢目肌……板目肌の一種だが、丸い年輪のような模様が顕著。五箇伝の中の備前伝によく見られ、模様の大小によって大杢目(おおもくめ)、小杢目(こもくめ)と呼ばれる。
・柾目肌……柾目(木を縦に切った時の模様)に似ていることから名付けられた地肌で、大和伝によく見られる。
・綾杉肌……柾目肌が大きく波打ったような模様。五箇伝の中にある流派ではないが、奥州(おうしゅう)・月山(がっさん)を拠点とし、鎌倉から室町にかけて活躍した刀匠集団「月山一派」によく見られる。
・梨子地肌……小板目、小杢目がさらにきめ細かく、蒔絵の梨子地に似た地肌。山城伝によく見られる。
・板目に柾固まじり……板目肌に柾目肌がまざった模様。大和伝によく見られる。

「精緻な鍔」

鍔には2種類の形があり、室町時代以前は太刀鍔、安土桃山時代以降は刀鍔が多く制作された。江戸時代中期以降は調金技法などが発達し名工も輩出された。

 <投桐透図鍔>なげきりすかしずつば

  無銘 神吉

  正式名称・・・鉄地堅丸形毛彫地透

  制作年・・・江戸時代後期

  サイズ・・・縦8.02cm 横7.65cm

  全面が透かし彫りになっている。描かれているのは丸窓に映った桐樹の陰影、もしくは丸い鉢

 に生けられた桐の一枝との印象を受ける。

 <月見兎図鍔>

  銘・・・ 政次作

  正式名称・・・鉄地木瓜形高彫金銀象嵌陰透

  作者・・・石黒政次

  制作年・・・江戸時代後期

  サイズ・・・縦8.0cm 横7.25cm

  月夜に遊ぶ兎を題材に、秋草が高彫に金銀象嵌で描かれ兎を陰影で印象的に表現している。

 雲間の月明かりを透かして表現した洒落たものです。

「拵の美」

刀身を収める鞘や、茎を入れる柄や鍔の装飾を拵えという。もとは刀身の保護が目的だったが、持ち主の嗜好や時代の流行が反映され、金工や漆工などの高い技術を用いたものも多い。

<小烏丸>こがらすまる

  正式名称・・・太刀無銘伝天国

伊勢神宮からの使いの大烏が、桓武天皇にもたらしたという逸話から「小烏」という名がついた。拵えは明治時代に作り直されたもので小烏丸のように刀身と拵が別々の制作年であることは珍しくない。雲龍模様の錦で柄の部分まで装飾されており、これは1800年代に編纂された史料を元に制作された。

 <朱漆雲龍蒔絵大小拵>しゅうんりゅうまきえだいしょうこしらえ

加賀百万石を成し遂げた戦国武将・前田利家。派手な立ち居振る舞いを好む「かぶき者」として知られている利家だが、彼が有していた打刀と脇差も、「かぶき者」の名にふさわしく、拵えは鮮やかな朱漆塗りで派手な佇まいとなっている。雲龍が蒔絵で描かれており、利家の嗜好がわかる二振りです。