濃州関金重

濃州関金重(きんじゅう・かねしげ)は、南北朝時代初期、美濃国(現在の岐阜県中部と南部)美濃伝の刀工であり、父は元重といい、父子を以て、関鍛冶の祖といわれている。但し、元重の作刀は確認できず、実質、金重が関鍛冶の始祖といえる。生国は越前国(現在の福井県東部)敦賀であり、法号は「道阿弥」という僧であった。齢六十にして還俗し、相州伝の名工「岡崎五郎入道正宗」に入門した。「正宗十哲」の一人に数えられるまでに精進した。在銘は太刀には皆無で、短刀のみ存在している。短刀の刀姿は重ねが薄く反りは浅い。地鉄は、板目に柾目が交じり、黒み勝ちに肌立ち、北国造の特徴が顕著である。刃文は、小湾れに、互の目交じりや互の目丁子、後には兼房乱もある。鋒の帽子は、大丸や乱れ込みが多い。銘は「金重」と切る。

代表作

重要刀剣 短刀 銘 金重 団体所有

納刀・抜刀と日本刀の取り扱い

刀を実際に手に持って鑑賞する時には、白鞘に収められたままの事が多いです。そのため、容易な取り出しが可能となりますが、刀を『使用』というと話が変わってきます。

まず、刀を収納してある鞘から抜刀(抜き取る)のですが、鞘から刃渡り70センチ近くあるものを抜き取るためには修練が必要となります。

その上で、納刀する時には、鯉口と呼ばれる納め口に仕舞う必要があります。この鯉口はかなり小さく鞘の幅が1センチ、縦が3センチほどしかありません。当然ながら鞘は腰に差したままで、一連の動作を行う必要があるのです。

抜刀・納刀というと単純に抜き差しをするだけにも聞こえますが、これだけでも刀を扱う難しさが感じられます。取り扱いの所作には数年を要し、余程気を付けて扱わないと、自分自身を傷付けてしまう危険性もあるのです。

GHQの日本刀回収

ポツダム宣言後、降伏した日本を占領しに来たのは、マッカーサーが率いるGHQでした。日本政府が降伏したといっても、一部が反乱を起こしては困ります。そのためまず行ったことが、武装の解除です。一切の武器をGHQに渡すための準備をしろとの命令が、日本に出されたのです。とは言え、武器といっても幅広くなります。料理をするための包丁や、農業で使う農具も刃物です。日本政府は連合国軍との話し合いを重ねます。そして要約すると「鉄砲や刀などの武器を没収。ただし小刀や美術的な価値のある刀は除く」という決着になりました。日本人は、天皇への敬愛の心を持っています。その天皇の証である剣を取り上げると、日本人から反感を持たれてしまいます。それらの事情があったことで、例外措置が設けられ、今日でも多くの日本刀が残されているのです。

長野県における日本刀の歴史

長野県は幕末の名刀工、源清麿(みなもときよまろ)の出身地です。同時代に江戸で活躍した水心子正秀や大慶直胤と共に江戸随一と高い評価を受けた日本刀職人の一人です。兄真雄とともに江戸に渡り、旗本・窪田清音の指導を仰いだといわれています。一説では源清麿が刀工になったきっかけに刀鍛冶を志した兄の手伝いをするためなのではないかいういわれがあります
「四谷正宗」と異名で知られていましたが親身の衰弱により嘉永7年(1854年)に42歳の若さで自刃により亡くなっています。しかし、短い生涯のなかで数々の新々刀を世に残しています。なかでも国指定重要美術品「刀 源清麿 弘化丁未年紀」と同じく重要美術品指定の「刀 為窪田清音君 山浦環源清麿製」は最高傑作と称されています。現在も非常に人気のある日本刀として数千万から億円の値打ちがつきます。

刃文と鍛え肌とは

漫画やドラマなどで人気な日本刀ですが、その模様には様々なものがあります。それには実は種類があり、刃文と鍛え肌の二種類に分けられます。

では、それぞれどのようなものなのでしょうか。
刀を作るときに、焼き入れという作業をしなければいけません。焼き入れというものは、熱した刀を、水につけることで冷たくして、鋼をより硬くし、刀の強度を上げる、という作業です。

この硬くした部分を、整えるために研ぐのですが、研ぐと、白い模様ができます。これを刃文と呼び、刀一本一本、違う刃文ができます。まっすぐな形の直刃や、曲がっている形の乱刃があります。

鍛え肌とは、この焼き入れをしていない部分にできる模様です。これもまた、刀一本一本異なります。縦模様の柾目肌や、木の板のような板目肌、それから杢目肌などがあります。
このような見た目の美しさからも、日本刀は人気なのです。

文化財としての日本刀

日本刀は武器として使われなくなったため、今は専ら美術品として、その価値を認められ、たくさんの人々に愛好されています。

特に価値のある日本刀は、国によって有形文化財に登録されることもあるほどです。では、そもそも文化財の基準とは何なのでしょうか。

文化財は6種類に分けることができます。建造物や彫刻などの有形文化財、音楽や演劇などの無形文化財、伝統ある風俗習慣や生業などの民俗文化財、歴史的に価値の高い記念物、文化的景観、伝統的建造物群の6つです。

これらは、国によって歴史的もしくは美術的に価値が高いとされ、優先して記録し、保護することを目的にしています。

有形文化財の中でも特に大切なものは重要文化財に登録され、より厳重に保護されるようになります。しかし、その分、勝手に動かしたり、加工したりすることを禁止されます。

日本刀の処分方法

代々続く名家や敷地内に蔵があるようなお屋敷には日本刀があることは多いです。現代では美術品や骨董品としての価値があるため、一般の家庭でも日本刀を持っていることは珍しいことではありません。しかし、代替わりや家を手放す際に日本刀をどう処分したらいいかわからない場合があります。

まず持っているだけで銃刀法違反にあたるのではないかと心配される方がいるかもしれません。日本刀1本に1枚ついている登録証は、美術品として所持できるものである証明になるものです。登録証がないと知りながら所持していることは不法所持で罰せられます。日本刀に登録証がないと気がついた場合は、管轄の警察署で手続きをします。

手放したいが、どうしたらいいかわからない、時間もないし、処分したいということであれば、管轄の警察署へ持っていけば処分してもらうことができます。

日本刀の帽子とは何か

日本刀の帽子とは、峰・切先の丸みを帯びた部位の刃文を指します。鋭くとがる峰・切先は日本刀の鋭さと美しさを最も感じさせる部分であり、大きな見どころでもあります。その部分に現れる刃文は焼入れの仕方によって紋様に様々な違いがあることが特徴となります。小さな部分ではありますが、日本刀の生まれた時代や刀工のこだわりが直接反映されやすく、日本刀の出来も左右するほど重要な場所ともえいます。
帽子は日本刀の顔の役割を持っており、この部分を見れば刀工の技量が分かるとまで言われています。その理由は、峰・切先は重ねが薄くなっており焼入れが非常に難しいため、均一に火入れをするには高い技術が求められる部分だからです。そしてこの部分を見れば作られた時代だけではなく、流派までも推測できるので刀の出自を明確にする上でもかかせません。

名刀の制作で知られる友成とは

に本当に興味のある人であれば、友成を知らない人はほとんどいないものとなっており、それだけ多くの名刀を生み出した人物となっています。しかし、実際に制作された刀には様々な異なる銘が彫られていたり、またその作風が微妙に異なると言うことも少なくありません。

友成は平安時代に日本刀の制作で有名であった、古備前の刀工です。その刀剣は多くの著名な人物に所有されていたことでも知られており、源義経や北条貞時など、歴史上著名な人物も所有していた事でも知られているものです。平安時代の特徴である美しさを前面に押し出した作風が特徴で、また当時はその美しさが力の象徴でもあったことから、多くの貴族や節などに好まれ、高い人気を誇るものとなりました。

地中の種類を理解しよう

日本刀に興味を持ち始めた方が多くいると思われます。日本刀は男性が趣味にするイメージがありますが、女性からの人気も高いです。そこで、日本刀を楽しむために知っておきたい、地中の種類について見ていきます。

地中と呼ばれる模様は、地鉄鍛えと焼き入れの工程を経て、地肌部分に現れるのが特徴です。地中の種類は筋状になって地景や流動的な文様である湯走りなどがあります。他にも光を反射させると淡く白い影のように見える映り、強弱のある地沸がからみあって、複雑なまだら模様になった地斑なども魅力的です。

刀によって地中の模様が全然違うため、模様をチェックすることも楽しみ方になります。私も最近は模様を見ただけで、地中の種類が答えられるようになりました。