長野県における日本刀の歴史

長野県は幕末の名刀工、源清麿(みなもときよまろ)の出身地です。同時代に江戸で活躍した水心子正秀や大慶直胤と共に江戸随一と高い評価を受けた日本刀職人の一人です。兄真雄とともに江戸に渡り、旗本・窪田清音の指導を仰いだといわれています。一説では源清麿が刀工になったきっかけに刀鍛冶を志した兄の手伝いをするためなのではないかいういわれがあります
「四谷正宗」と異名で知られていましたが親身の衰弱により嘉永7年(1854年)に42歳の若さで自刃により亡くなっています。しかし、短い生涯のなかで数々の新々刀を世に残しています。なかでも国指定重要美術品「刀 源清麿 弘化丁未年紀」と同じく重要美術品指定の「刀 為窪田清音君 山浦環源清麿製」は最高傑作と称されています。現在も非常に人気のある日本刀として数千万から億円の値打ちがつきます。

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