濃州関金重

濃州関金重(きんじゅう・かねしげ)は、南北朝時代初期、美濃国(現在の岐阜県中部と南部)美濃伝の刀工であり、父は元重といい、父子を以て、関鍛冶の祖といわれている。但し、元重の作刀は確認できず、実質、金重が関鍛冶の始祖といえる。生国は越前国(現在の福井県東部)敦賀であり、法号は「道阿弥」という僧であった。齢六十にして還俗し、相州伝の名工「岡崎五郎入道正宗」に入門した。「正宗十哲」の一人に数えられるまでに精進した。在銘は太刀には皆無で、短刀のみ存在している。短刀の刀姿は重ねが薄く反りは浅い。地鉄は、板目に柾目が交じり、黒み勝ちに肌立ち、北国造の特徴が顕著である。刃文は、小湾れに、互の目交じりや互の目丁子、後には兼房乱もある。鋒の帽子は、大丸や乱れ込みが多い。銘は「金重」と切る。

代表作

重要刀剣 短刀 銘 金重 団体所有

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