戦国時代、大量の武器が必要となると、日本刀などの武器を量産できる鍛冶どころを備前(岡山県)、美濃(岐阜県)に求められるようになったようです。武装した農民たちが使用する安価で、よく斬れる刀剣などの武器が、大量に必要であったようです。雑兵たちが使う量産された刀剣類とは異なり、武将たちは、自身のステータスを示すような、オーダーメイドの名刀を帯刀していたと言われています。秀吉の時代には、「拵(こしらえ)」と呼ばれる煌びやかな装飾が施されるようになっていったようです。このような、美しい刀剣を、合戦の褒美として部下となる兵士や武将たちが与えられることは、何よりの喜びでもあったようです。その後、天下を治める徳川家康は、刀を所有できるのは、武士などにおいても特権階級のみに絞り込みます。支配階級の武士だけが、日本刀を所有することで、幕府に反抗する武士たちを消し去ろうと考えてもいたようです。家の家宝として、日本刀が大切なものとして扱われるようになるのも、刀はお家柄を示す象徴としてその価値を高めていたからかもしれません。現代に現存する古い時代の刀剣は、大切に人々の手によって守られてきたものが数多くあります。刀が示す意味や価値が、人々の生涯に与える影響が大変大きかったのだとも考えられます。