現存している日本刀の中で、歴史の謎を解き明かしたものとして知られている剣と言えば、埼玉県行田市の前方後円墳「稲荷山古墳」から発見されたとされる鉄の剣が有名であると言えるではないでしょうか。この鉄剣は、発見された当時から騒がれていたわけではなく、保存処理を施していた時に、金象般の銘文が発見されたことで注目を浴びたとされており、その銘文は、他に類を見ないほどの長文であった事に加え、銘文の一部が「獲加多支歯大王」と判読されたことから世間を騒がせたとされているようです。「獲加多支歯大王」は「ワカタケル大王」と読み、雄略天皇のことを指しているとされています。この銘文の内容は「ヲアケ」という人物と、その祖先たちの功績が刻まれているとされており、かつて、彼らがワカタケル大王のかたわらに居て、この大王の天下統一という偉業をサポートしていたという事が記されていたようです。この鉄剣の銘文が判読されるまでは、歴史上、畿内のヤマト政権の勢力は5世紀の後半、関東にまで及んでいたかもしれないという点で確証が得られず、長らく迷宮入りの歴史として位置づけられていたとされており、この鉄剣の銘文の発見により、歴史の穴埋めとなる貴重な証拠として重大な宝剣として扱われ他とされているようです。この明文により、かつて地方の首長クラスの人物たちが大王の覇業を手伝わされたとするのは、支配に服していたからという事実が解明され、5世紀の後半には、ヤマト政権が関東を支配していたということが証明されたと言われているようです。このように、古くから刀剣は武器以外での役目も習慣化されていたということがうかがえるのではないでしょうか。